この軸は、一般に別名「高徳連座像」と呼ばれたりしている。
全国的には幾つか存在するが、長野県では最近県宝になった木曽のものとよく似ている、宮村のものは非常に保存が良く、絵も美術的に優れ、京都の絵師が描いたと思われ、上高井地方に浄土真宗がどのように伝わってきたか、という歴史上貴重な資料である。
この中の人物中、永圓(現長野県上水内郡信濃町明専寺の開基=鎌倉時代)が描かれているものは、今のところ全国にも宮村だけにしか存在しないと思われる貴重な資料である。宮村は全戸須坂市の勝善寺(浄土真宗東本願寺派)の檀家であり、戦国時代には大坂石山戦争の時に、兵糧米を送ったり、村人が兵士として大坂で戦死を遂げたりしたという伝承があり、信仰の篤いところとして現高山村では有名な村落である。
勝善寺の塔頭に宮村担当の圓照寺があったが、その寺は明治に廃寺となり、住職は東京へ移住した。そのときに「安心相承御影」が質屋に流れた。東京在住の宮村出身者がそれを発見し、村民が買い戻し、今に至っている。