福島正則荼毘所跡

 福島正則は徳川幕府によって広島50万石から川中島4万5千石に減封されて高井野に流された大名であるが、この高井野での5年間の短い治世に、治水工事・用水建設・新田の開発と善政伝説の基となる政治があり、領民に慕われた。
 また、病死した正則の死骸は7月の暑い盛りであったため、幕府の検死が済む前に荼毘に付したために、家禄は没収された。正則の威徳を偲んで、当時の住民により、この荼毘所跡に1本の杉が植えられ、以来300数十年、いつしかその地は「一本杉」と村民に呼ばれていた。一本杉は「傷をつけると血が噴出す」と長い間村人の間に伝承され、大切にされてきた。高さ30m、周囲9mの大木となっていたが、昭和9年の室戸台風で倒壊した。
 長野県の指定史跡となっている福島正則屋敷跡と共に、この荼毘所跡は福島正則に関する貴重な史跡である。